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不登校について考える1

 私の本業は教育関係である。下は小学校一年生から上は70歳まで、大概の年齢層は教えたし、朝に公務員試験の数的処理、昼に不登校の小学生、夕方は中学生を教え、最後に高校生の物理や化学を教える、なんて日もあった。
 そうした過程でやはり、この国の教育制度が機能不全に陥っているという感覚は日増しに大きくなっていく。
 その最たる問題が「不登校問題」である。
 年間30日以上の欠席で不登校であるとされる。
 文部科学省の調べによれば、小中学生の不登校の数は120000人であるそうだ。
 この数字は前年より7000人多い。
 01年のピーク時に比べると20000人近く減っているが、子供の数の減少を考えると、年々増えているというのが現状である。
 不登校の原因は何か、ということを問う前に、個人的な実感から、「不登校」でひとまとめにする危険性について述べていきたい。
 不登校と言っても、原因やタイプによって全然違うのだ。
 個人的な感覚で申し訳ないのだが、「不登校」は以下の6つの類型があると思う。
 ・イジメ型不登校
 ・学力型不登校
 ・病気による不登校
 ・なんとなく不登校
 ・家庭不全不登校
 ・その他(特殊型不登校)
 イジメ型不登校  
 おそらくは最も代表的で、最も深刻な不登校である。
 世の中の多くの人間が思う「不登校児」はこれが原因であると思われる。
 イジメはどこの世界でもある。人間のみならず、哺乳類に含まれる動物は皆イジメをするらしい。
 イジメはよくない。と声を上げるのは重要である。しかし、イジメはなくならないだろう。
 イジメとは一種の自己防衛なのである。見方を変えれば中世の魔女狩りもイジメの類型であるし、戦争なんかも規模の大きいイジメである。異物を排除する、というのは遺伝子に組み込まれた本能なのかも知れない。
 社会というのは本能との戦いである。食べたいからと言って店の商品を勝手に食べてはいけないし、お前のものは俺のものではないし、バットを買ったから人を殴ってはいけない。
 人間の本能をいかに理性的に抑止させるか、というのが教育なのである。
 人間らしく生きる、というのは、いかに理性的に社会生活を営むかの話である。
 イジメは教育の問題である。イジメを抑止できなければ、その教育は失敗である。
 問題なのは、教育の現場たる学校の側がイジメの事実を認めないことである。
 イジメの事実を認める学校はほぼない。イジメが起こった時、学校が側がまず考えるのが、どう隠ぺいするかである。その監督たる教育委員会もグルになって隠そうとする。結果的に、不登校児の大半は「病欠」になるのである。
 教育の腐敗、それこそが不登校児の増える原因だ。
 この型の不登校児はあまりいない。なぜなら、イジメなどないからだ。
 被害者は二度死ぬ刑事事件と同じように、イジメを受けた子も何度もその被害に逢う。
 学校側は何もしない、ことが多い。そのため、イジメを受けた子は、大人不信になることが多い。
 そして個人的に一番恐ろしいと思うのは、彼らが必要な教育を受けられない点にある。
 よって、次に述べる学力型不登校になってしまうのである。
 学力型不登校
 実はかなり多い。この中にはイジメや病気で一時期行けなかった子や、LD(学習障害)などの子も含まれる。他、比較的学力の高い子も含まれる。
 いい点数を一度でも取ると、それを維持しようと言う気になる。そして再び勉強する気になる。
 私はこれを「陽のサイクル」と呼んでいる。いかにこのサイクルにのせるかが、腕のいい教育者であるかどうかの分水嶺であると思う。
 この「陽のサイクル」にのっているはずの子が、突如不登校になってしまうのである。
 どうしてあの子が? まわりは皆いぶかしがる。原因がよくわからないのだ。
 悪い点数をとるのが怖い。
 この誰にでもある感情が原因であることが多い。
 小学生から中学生にかけての期間は、エゴ(自我)の増幅期間と言われる。自己とは何かと言うアイデンティティを確立する時期である。
 太宰治や三島由紀夫よろしく、理想の自己像と現状の自己像は必ずしも一致しない。そのことを拒否するあまり、不登校になってしまうのである。
 LD(学習障害)の問題も多い。特に兄や姉が成績優秀だったりすると、事態は深刻になる。
 LDに関する問題の根は深い。両親がそれを認められるかどうかで大きく違う。
 疲れたのでここで一端切りたい。
 

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