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追悼|任天堂社長岩田聡さんがお亡くなりになりました

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任天堂社長の岩田聡(いわた・さとる)氏が11日、胆管腫瘍のため死去した。55歳だった。

 遺族と任天堂による合同葬は17日午後1時から、京都市左京区岡崎天王町26の岡崎別院で行われる。喪主は妻、佳代子さん。葬儀委員長は任天堂の竹田玄洋専務が務める。

 後任は未定で、当面は竹田専務と宮本茂専務が社長の職務を代行する。引用元:読売新聞

 

 このブログの過去記事にも岩田聡さんの出てきた動画をシェアさせていただいたことがありますが、こんなに早くお亡くなりになるとは思いませんでしたね。

岩田聡さんの簡単な経歴を見てみましょうか。

 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、東京工業大学工学部情報工学科卒業。

  • 1982年(昭和57年) – HAL研究所入社。
  • 1984年(昭和59年) – HAL研究所取締役就任。
  • 1993年(平成5年) – HAL研究所代表取締役社長就任。
  • 2000年(平成12年) – HAL研究所取締役相談役就任。
  • 2000年(平成12年) – 任天堂取締役経営企画室室長就任。
  • 2002年(平成14年) – 任天堂代表取締役社長就任。
  • 2013年(平成25年) – 任天堂米国法人(Nintendo of America)取締役会長 (CEO) 兼務。
  • 2015年(平成27年)7月11日 – 胆管腫瘍のため死去。

2000年、任天堂社長だった山内に経営手腕を買われ任天堂に入社、取締役経営企画室長に就任。2002年、42歳のときに山内から指名を受け、2002年6月1日付けで代表取締役社長に就任した。任天堂は1889年に山内溥の曽祖父である山内房治郎が創業して以来山内家の同族経営であり、当初次期社長は山内溥の長男の山内克仁か娘婿の荒川実だと思われていたが、他の古参取締役をも押し退けて入社2年目の岩田の大抜擢は異例中の異例であった。なお、会社の方針決定は山内の代とは逆に社長一任ではなく、最重要は取締役会となっている。これは「今後の時代に対応するには、集団指導体制にするべき」と考えた山内自身からの提案である。

wikiより転載

 

 マザー2の生みの親の一人

私と同じ、いわゆるアラサー世代の人間は、かなりの割合でマザー2をやったことがあるのではないでしょうか?

前作マザーのヒットを受けて作成が開始されたマザー2でしたが、開発スタートから4年が経過していたにも関わらず、全く進んでいなかったそうです。そこで立て直しの為にプログラマとしてして派遣されたのが岩田聡さん。彼はプロジェクトに参加するやいなや、ゲーム史に残る言葉を発します。

「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、1年でやります」

言葉の通り、あっという間にゲームを作り上げたのは有名な話ですね。

岩田さんはプログラマとして非常に優秀で、

プログラマはノーと言っちゃいけない

という考えをもっていたそうです。

この考え方は任天堂全体に浸透しているそうで、どんな困難にも負けない彼の姿勢が見える一言ですね。

最近では赤字になったり、色々ある任天堂ですが、スーファミ世代としてはこれからの任天堂が生み出す商品に勝手に期待しています。

若すぎる死ではあったと思いますが、実に有意義な人生であったと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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