息切れするリヴァイ
個人的に今月号で一番印象に残ったのは息切れするリヴァイでした。
かつてリヴァイが息切れしたことなんてあったでしょうか?
通常の巨人が相手の時は勿論、女型の巨人やケニー・アッカーマンと闘った時ですら息ひとつ切らしていなかったリヴァイ
そんなリヴァイが初めて息切れしています。
まだ強敵と闘う前なのに?
猿の巨人と闘っている時ならまだしも、これから強敵と闘わなければならないのに息切れとは…
そして今週鎧の巨人以上に焦点のあてられていたエルヴィン・スミス。
なぜか格好よさげなザックレー。
「君は死にたくなかったのだよ」
エルヴィンの中で最優先されているのは、調査兵団の命ではなく世界の真実。
今回も目の前で敵と闘っている仲間よりも、グリシャ・イエーガーの残した地下室の方が気になっている様子。
真実を知るまで死ねないという強い思いが、あるいは調査兵団の生存率を飛躍的に高めたのかも知れません。
人類に心臓をささげていないエルヴィン。
自分は特別だと思いたかったキース。
皮肉にも、本心から人類に心臓をささげた兵士達は皆死んでしまった。
果たして作者は、エルヴィンに世界の真実を見せてあげるつもりなのでしょうか?
ライナー・ブラウンと104期達
かつての仲間に弓を引くことより辛いことはあるまい。
ライナーを倒すことにまだ若干のためらいがある104期達。
ミカサだけは全くためらいが内容ですが…
さすがにこれでライナーがやられたとは思えませんが、かなりの打撃をくらったことでしょう。
何故か今回の戦いは、ウルトラマンの最終回を思い出しました。
ウルトラマンは、最終回でゼットンにやられるんですよね。
で、そのゼットンは人間達にやられる。
幼稚園児ぐらいの時に見ていて、ウルトラマンがやられたことよりも、ウルトラマンを倒したゼットンが科学特捜隊ごときにやられたことがショックでした。
だって、科学特捜隊はいつだってやられ役の雑魚だったんですから。
今思えば、地球はウルトラマンではなく人間達が守って行かねばならないというメッセージだったんだと思いますが、子供心に何か許せない!と思ったことを今でも覚えています。
巨人の力ではなく人類の力で巨人を撃破する。
ライナーを雷槍で倒せれば人類はある意味勝利したと言えるのかも知れませんね。
ただ、今回気になるのは、
「エレンを齧りとるまでには至らないか
もはやこの手を使うしか」
という部分でセリフが切れている点ですね。
ライナー側にはまだ秘策があるのでしょう。
(その後のライナーの目がギャグっぽくなったのはなんか少し悲しかったぜ)
結局地下室には何があるんだろう? 一体敵は誰なんだ?
一体何年間地下室の謎は引っ張られたのであろう?
ワンピースの謎やコナンのあの方並に引っ張られるかと思われた地下室の謎。
それがこの戦いの後に明かされるのであろうか?
そもそも、この闘いにはどうやったら勝てるのだ?
ライナーとベルトルトを倒したら?
猿の巨人を倒したら?
「一体敵は誰だと思う?」
エルヴィンがエレンに放った一言は、「進撃の巨人」の大きな一つのテーマでもあると思います。
今はライナーやベルトルトの勢力が敵として位置づけられていますが、少し前までは憲兵団でありレイス家が敵でした。
「ただなぁ、エレン あの二体をやっつけて終わりだと思ってんならそりゃあ勘違いだ」
「敵は何だ?」
「敵?そりゃ行っちまえばせーー」
11巻でユミルが放った言葉です。
「せ」のつく言葉。
世界、政府、世間、潜在的意識・・・
ドラクエには勇者と魔王がいて、魔王を倒せばよい。
大体の物語には善玉と悪玉がいて、善玉が悪玉と闘うストーリーになっている。
三国志だって水滸伝だってアーサー王だってギリシャ神話だってそう。
でも、進撃の巨人はそうじゃない。
初めから敵が何だかわからない。
その敵の正体が、地下室にはあるのだろうか?
グリシャは、レイス家に行った後にエレンに地下室を見せるつもりだった。
グリシャはそもそもレイス家に何をしに行ったんだろう?
ロッド・レイスに何かを懇願しているようにも見えた。
それが聞き入れられないので巨人化し、フリーダは家族を守る為に巨人化して対抗しようとしたようにも見えた。
幼い子を皆殺しにし、ロッドだけを見逃したグリシャに正義はあるのか?
グリシャは初めから子供たちを殺すつもりだったのだろうか?
グリシャがレイス家の面々を殺したことと、ライナーやベルトルトが壁を破壊したことに、本質的な違いはあるのだろうか?
グリシャはなぜ、エレンに全てを託した?
やはり鍵を握るのはグリシャ・イエーガー。
そのグリシャはもういない。
秘密を知っていそうな人間達は全員死んだ。
ロッド・レイス、フリーダ、ケニー・アッカーマン、ミカサの両親、グリシャ・イエーガー。
地下室だけがそれを知りうる希望。
でもその中身は希望に満ちたものだろうか?
昔、手塚治虫という漫画家が、火の鳥という最高傑作を書き遺した。
中でも「未来編」は最高傑作中の最高傑作だった。
人工知能ハレルヤの暴走によって世界は核戦争の火に沈み、たった一人不老不死になってしまった青年。
その青年はある棺を発見する。
その棺には、「放射能がなくなったら起きる」と書いてあった。
青年は、確か500年ぐらい毎日その棺に通っていたと思う。
そしてまちきれなくなってその棺を無理やり開けようとしてしまう。
結果、中までバラバラにしてしまう。
青年は大声で叫ぶ
「あなたを待っていた500年間は楽しかった。毎日あなたの顔や声を想像し、どんな話をしようか楽しみにしていた。でも、あとの500年間、私は何を楽しみにすればいいんだ…」
これほど恐ろしい描写はないと思った。
と同時に、待つことの本質的な楽しみも知った。
それは想像することだ。
ワンピースや進撃の巨人がなぜこれほどまでに人気になるのか?
それは、読者に想像する自由を与えてくれるからだと思う。
だから、「地下室の秘密」は知るまでが楽しいのかも知れない。
ギリシャの哲人ソクラテスはこう言った。
「人は不幸だと思っていた時のことを考える時、初めて幸福について知る。あぁ、私は幸福だったのだと」
当時、高校生だった頃の私には意味が分からなかったが、今ならなんとなくわかるような気がする。
分かることよりわからないことの方が幸せだということもあるのだ。