光臨:他人を敬ってその来訪をいう語 「御―を仰ぐ」
誰が光臨したのか?
第78話のタイトルは降臨ではなく光臨なんですよね。
これはかなり意味深なタイトルです。
冒頭にあるように、光臨とは誰かが来訪した時に使う言葉です。
一体誰が来訪したのでしょう?
普通に考えればベルトルトなのですが、ベルトルトが御光臨を仰ぐという表現には違和感したありません。
では一体誰が?
そう思った時にグリシャの言葉が思い出されます
「力の使い方は彼らが教えてくれるだろう」
当時は誰もが思ったものでしょう。
「彼ら」って一体誰だ? と。
ウーリやフリーダを見るに、初代王の知識や記憶は代々レイス家に受け継がれていたようです。
ここから察するに知性派巨人の力を受け継ぐ際、記憶や人格の一部なども受け継がれるのかも知れません。
僕のヒーローアカデミアにおけるワンフォーオールに設定が似ていますが、代々受け継がれながら強力な能力になっていっているのかも知れません。
ライナーは実に上手に巨人の能力を使います。
脳の機能を全身の神経に移すなんて芸当、思いつくものではないでしょう。
元から故郷にその技法が伝わっていたのか、それとも以前の使用者の記憶がライナーにそれを教えてくれたのか。
今回ベルトルトはまるで別人のように変わりました。
まるで「覚醒」したかのように。
アルミンと互角以上の頭脳に加えてミカサをも圧倒する戦闘技術。
アッカーマンがアッカーマン以外に戦闘面で後れをとったことは今までありませんでした。
元々潜在能力の高さをキース教官に評価されていたベルトルトですが、なぜか違和感を感じずにはいられませんでした。
元々超大型巨人を受け継いできた戦士達が光臨したのだとすると、なんだか妙に府に落ちるような気がします。
ちょっと無理やりっぽいですけどね。
調査兵団に勝ち目はあるのか?
進撃の巨人は最初から徹頭徹尾不利な状況で闘っています。
以前ハンジさんが
「調査兵団は未だ勝ったことがないんだ」
と言っていましたし、エレンが穴を塞ぐことで初めて人類は巨人に勝利した訳です。
負けて元々、普通の巨人相手に敗北を重ねてきた調査兵団が、通常巨人をまるで相手にしないような巨人達を相手にこれからどうやって勝つのでしょう?
ライナーは今、ものすごい勢いで回復しています。
ベルトルトは別格の強さを身に着けました。
そいつらよりも遥に強い猿の巨人もまだ控えています。
対してこちらは何故か息切れしていたリヴァイ、生きていたとしてももう戦えないであろうハンジさん、片腕を失い戦闘不能なエルヴィン。
戦力になりそうなのは他にアッカーマンと東洋人の血を受け継ぐミカサと巨人化したエレン、その他の104期。
一体この状態からどうやって人類は勝つというのだ?
誰も悪くなんかないのに殺しあわなきゃいけない
進撃の巨人の本当のテーマなのかも知れませんね。
漫画はその時代を映す鏡のようなものです。
かつて、二次大戦後はアメリカでスーパーマンのようなヒーローものが流行りました。
ヒーローは常に強く正しく、悪役は常に悪役でなければならない。
その系譜は日本ではドラゴンボールに受け継がれ、ワンピースにいたると言ってもよいかも知れません。
善と悪がくっきり分かれている。
絶対的正義と絶対悪の戦い。
古くはゾロアスター教から続く二元論。
対して、近年は敵が絶対悪でない話も目立つようになりました。
代表的なのが「機動戦士ガンダム」
ランバラルやドズル・ザビのように、必ずしも絶対悪とは言えない生身の人間が敵になり、善と悪の対立ではなく、立場の違いで闘わなければならなくなったに過ぎないというテーマをもとに作られた作品です。
進撃の巨人は完全にこの系譜ですね。
ライナーやベルトルト、アニは絶対悪という感じではなく、エレンやミカサ、アルミンと根本は変わらない人間として描かれているような気がします。
じゃあどうして戦わなきゃいけないのかというと、
世の中が残酷だから
です。
かつて、第二次世界大戦の時、ドイツ軍はユダヤ人に対して大量虐殺を行いました。
アウシュビッツでユダヤ人を処刑していた人間達は、血も涙もない悪魔だったのでしょうか?
彼らは、家ではよき夫でありよきパパであったそうです。
朝はトーストとコーヒーを口にし、マイカーで職場まで通勤するどこにでもいるドイツ人達。
彼らは闘いに負けました。
広島や長崎に原爆を落とした国は正義となり、ガス室で人を殺した国は悪となりました。
勝てば正義。
今回のベルトルトが引き起こした爆発は、まるで原子力爆弾のようでしたね。
正義の名のもとに一瞬で数万人もの命と数十万人に後遺症を与え殺戮兵器。
正義と悪をわかつのは一体何なのか?