もうすぐこのゲームもクリアになってしまうのかと思うと寂しくなるな…
王馬小吉というキャラクター
ダンガンロンパ1には、十神白夜というキャラクターがいた。
世界を牛耳る一族の御曹司で、殺しあうことさえ楽しむと公言していたけれど、結局一度も他人を攻撃することもなく最後まで生き残った。
かませ眼鏡という絶妙なあだ名をつけられたが、続編にも必ず出てきており、ダンガンロンパの顔とも言えるキャラクターになった。
ダンガンロンパ2には狛枝凪斗というキャラクターがいた。
初めは爽やかなイケメン風の登場だったが、ある意味では江ノ島盾子以上にぶっ飛んでいるキャラクターだった。
2が傑作足りえたのは狛枝というキャラクターがいたからに他ならない。
狛枝は完全に狂ったキャラクターなのだが、一貫して「どんな絶望をも乗り越える希望」を信奉しており、アニメのダンガンロンパ3を見ても絶対絶望少女をクリアしても超高校級の絶望として洗脳を受けていた時と何も変わらないキャラクターだった。
狛枝が望んでやまなかった「超高校級の希望」が自分を卑下する原因ともなる「超高校級の幸運」という同じ個性の持ち主であったのは大きな意味をもつことだろう。
狛枝と苗木が会ったらどうなるのか?
アニメダンガンロンパ3でその邂逅が実現するのだが、かなりあっさりとしていて残念だった。
狛枝が苗木をこれでもかと追い詰めるダンガンロンパがあったらやってみたい。
自分の中でアニメはなかったことになっている。
さて、狛枝はいわゆる「トリックスター」で、話をかき回す役割を持っていて、そういう意味では今回の王馬小吉に役割が似ていると思う。
決定的に違うのはその「悪意」だ。
狛枝には悪意はなかった。
十神にも悪意はなかった。
彼らは共に裁判をかき回す行動をとったのだが、そこに悪意があったかどうかという点で王馬小吉とは大きく異なる。
ダンガンロンパでは、基本的に全員生き残るために裁判に臨むのだが、王馬小吉だけは生き残るためではなく裁判に臨んでいる。
そして実は彼はこの時点まで一切罪を犯していない。
むしろ殺されそうにさえなっている。
なんとなくハンター×ハンターのパリストンに近いものを感じる。
自らは手を下さないが確実にクロ
底すらない人の悪意の体現者
2は狛枝がいたおかげで盛り上がったという事実があるが、3は王馬小吉がいたおかげで盛り上がるということになるかも知れない。
新世界プログラムとアルターエゴ
発売前、1・2とV3は全く関連性のない作品であると発表されていた。
ある意味ではがっかりだったけれど、続編作って過去作を巻き込んでダメになるパターンもあったので安心している部分もあった。
でも、ここにきて突然過去作との世界観のつながりが出てきた。
1における重要要素である「アルターエゴ」と2の際重要要素である「新世界プログラム」
確実にV3の世界は1・2の先の話であることが明示された。
外の世界を覆う絶望
あのゴン太君が死んだ方がましだと思えるほどの外の世界の惨状。
1の時は外の世界が絶望に包まれているという話だった。
2では外の世界が絶望よりも希望にあふれた世界であることが明示された。
アニメの3はなかったことにしたいが、それでも希望に包まれた世界が暗示されていた。
けれど、再び世界は酷い状態になっているらしい。
一体何が起こっているのだろうか?
過去のダンガンロンパシリーズはハードルを上げるのもうまかったし、その上げたハードルをもさらに越える回収を見せてくれた。
今回はどうだろうか?
そして、十神白夜でさえ外の世界を知って一度は絶望しかけたのに、王馬小吉だけは動揺もせず眉一つ動かさない上にむしろ楽しんでいるようにさえ思える。
これからの展開にもよるけれども、この存在感はキャラクターとして成功だと思う。
ある意味狛枝や江ノ島さえ越えている。
そもそも、「超高校生級の総統」って意味が分からない。
総統と聞いてまず真っ先に思い浮かぶのがヒトラーの存在だろう。
歴史上で3人悪人を上げろと言われたら絶対と言っていいほど名前の挙がる人物
一次大戦で国力を失ったドイツを回復させた手腕の一方で、ユダヤ人相手に大虐殺を行った大悪党
民主主義の敵にして歴史上最大の戦争の原因を作った人物
「このせかいはおうまこきちのもの」
中庭に残されたこのメッセージには一体どんな意味があるのだろうか?
次のCHAPTERが楽しみで仕方がない。